がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

「水曜日のダウンタウン」のクロちゃん系企画を怖くて見られない

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 あれ面白いんですかね。

 いや、数回見ていたときは呑気にヘラヘラ笑って見てたんですけど、だんだんと「面白い」って感じからは遠ざかってしまって、今は水曜日録画してても「クロちゃんあんのね(削除)」みたいな感じで見なくなってしまいました。

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クロちゃんのサンドバッグ化はわかる

 例えば「ツイート上で嘘をつく→スタッフが細かく指摘して嘘を暴く」みたいな流れがしつこく擦られてたときありましたやん。今もあるんですかね。今も「企画としてある」か「クロちゃん本人が現役でやっている」かは、わからないままで書きます。

 あれ、その、意味がよくわからないわけですよ。ツイート上で無いものを「あった」やってないことを「やった」と、番組上ではなく本当に書いているのだとしたら、指摘することで修正されることってないわけですやん。クロちゃんが本当に嘘をつくつもりで嘘を投稿してるんだとしたら、本人は『わかってますけど』以外に反応しようがない。また、スタッフが指摘すること自体にも、嘘を嘘とわかってる相手に「嘘ついてますね」っていうことは、正論でぶん殴る以外に意味がないわけです。そして、クロちゃんは、少なくとも番組上修正や反省をしない役割なわけで、指摘の本来の意味ではなくなってると思うわけです。

 じゃあ、実質の指摘の役割って何なのかというと「クロちゃんの共有サンドバッグ化」なわけですね。嘘つきや気持ち悪い、その他いろいろといった属性を引き受けた、サンドバッグになることを見込んだ役割の職種(芸人)と人格(クロちゃん個人)を、みんなで馬鹿にしましょうっていうことだと思うわけです。

 「水曜日のダウンタウン」自体、この筋って貫かれていると思います。素人へのインタビューにしたって、格好や言動について気になったところを長めに取り上げることはよくありますし、クロちゃん関係の企画も確実のその延長線上にあると思います。全く別の角度からの笑いが「理解できない」と混乱しているわけでなくて、理解出来ていた笑いの濃度が自分には濃すぎて耐えられなくなった感じ。

 

「笑えなくなった」というのは僕個人の線引です

 芸人さん自体、テレビでは他タレント業と比較して、位置低く滑り込んで役割を引き受けることが定番化しているため、それ自体は僕も楽しめる感覚はあるし、なんだったら好きな部類でもあるんです。テレビなんて見世物だし、下品なもんですよ。「誰かを馬鹿にする笑いは古い」と、テレビ先進国(架空)から下りてきた意見で、どなたかを袈裟斬りにしとうてたまらん、またはそれで金稼ぎとうてたまらん人を見て、冷めた気持ちになるところであります。

 芸人さんが浮気でバッシングを受け、その奥で奥さんや子供とシリアスな問題を抱えることになっていようが、僕にとっては基本的に知ったことではありません。例えば浮気だった場合は「自分で撒いた種で恥かいてるだけ」というような距離感があります。まあ、彼らは僕の知り合いでもなんでもないし、僕のそれをリアルに考える必要がない。彼らがそれを飯の種にしているという認識もあるし。

 この「自分で撒いた種」という見方自体も、「自己責任」それ自体を疑問視される時代において、見世物においては実質スルーされていると思いますし、僕は別にそれでいいと思っております。人間はここでスーハー息してるだけで誰かに迷惑かけてるもんでしょ(適当)。 

 そういう自分からして、「クロちゃんのサンドバッグ化」の擦り方は、全く笑えないものになってきてると思ったのです。

 「こっから先は笑えない」というのは、全く僕個人の感覚なのです。もしかしたら単に、「クロちゃんに関してこの方向は飽きた」ってだけなのかもしれませんけどもね。それも含めて僕個人のね。「擦られすぎてて怖い」と思っています。

 

急に思い出した「ドブス」事件

 まだYouTuberという言葉が誕生していないころ、YouTubeであったしょうもなくて胸糞悪い事件がありましてね。調べたら2010年の事件でした。

www.j-cast.com

 首都大学東京の学生さんが、道行く人に「ドブスの写真集を作りたいので撮らせてくれ」と声をかける、という動画がアップして炎上したのでした。

 動画自体は未見なのですが(あっても見たくないし)、僕は「声を掛けられた女性が受け身を取れていない」という点で、全くエンタメになっておらず、批判に至ったんだろうなと思いました。なぜこれが「ダメ」なのか初速で結論には至れなかったけど、ぼんやりとテレビを見る人もネットを見る人も含め「これはダメ」と瞬時に判断できる程度に「ダメ」なことっていう結論でよいと思います。

 でもやっぱりこの「ダメ」の線引ですら、「全く個人の感覚」の集合でしかないヤバさを感じて、当時少し血の気が引いたんですよ。今もちょっと引く。

 

テレビは下品なエンタメです当たり前でしょ

 僕は、上記で、テレビのことを「下品」と書きましたけども、その内実は「仕掛ける側と仕掛けられる側の間で合意がある、又は後付で形成できる」っていう点にあると思うわけです。東京ポッド許可局ってラジオ番組で、過去プロレスを「悪質なエンタメ」と評してたことがあってすごく納得した記憶があります。

 テレビの場合、見世物的であると緊張感を失って、じゃあもう「生活笑百科」みたいに、冒頭に脚本出しとけやということにもなりかねないので、それなりに教育されたテレビ視聴者であったとしても「これに関してはガチなんじゃないのか」というハラハラを期待し、その期待や作りたさに応えるために「これはガチですよ」と言わないまでも、まるでそうであるかのように誤解される仕掛けが沢山施されるわけです。 

headlines.yahoo.co.jp

 つい先日だと、週刊文春で「イッテQ!」でありましたね。僕は奇跡的にイッテQを一回も見たことがなくて、どこにオモシロポイントがあった企画だったのかさっぱりわからんのですが、多分「祭りの実在感(習慣性とか)」が無ければ、その勝利や敗北、熱狂に意味がないような企画だったと思うのですよ。

 そこで実際行われていなければ、番組として盛り上がりに欠けるので、もしかしたら「毎年行われている」と明確にナレーションつけてたかもしれない。それを見た視聴者は、教育されていようが「ああ、この祭りは地元の人にとって大事なんだな」とか「タレントはちゃんと祭りに参加できてて盛り上がってんな」とか、ちょっとずつ考えるわけです。だから「実は無かった」ってことが虚偽となって、謝罪の対象になる。まあ、「地元にない文化をあるかのように見せた」っていうのもあるかもしれん(その場合謝罪の対象が違うが)。

 視聴者に関しては、合意を必要としない、場合によって余計になる点がテレビの下品な点であると思います。「お前ら騙されといてくれよ」って思ってる。そして、僕らは騙されることを了解した顔をして、うっかり本当に騙されていたような気持ちになってしまう。

 

僕は合意が見えないと安心して視聴できないっていう話でした

 クロちゃんの企画に関して、クロちゃんのゲスさをひたすらフォーカスする内容に特化していく中で、僕が終盤に思ってたのは「頼むからクロちゃんのこの感じは完全台本であってくれ」ということでした。もし台本だったら、視聴者の合意が取れていないこと自体が、製作側の意図通り「下品なエンタメなんで、サーセン」っていう開き直りが通るわけじゃないですか。

 僕が本当に怖いのは、「クロちゃんがちゃんとゲスい人間性の人だったら」と考えたときに、合意の取れていない視聴者の一部は、クロちゃんに対するヘイトを募らせつつ、かといって「嫌いゆえに無視できない」という状態に陥らせて、何か具体的に暴発することを想像してしまうのです。だってさ、世の中に「逃走中」でリタイアしたタレントに「リタイアすんな!」って意見送りつける人とかおるらしいですから。

 加えて、クロちゃん自身が、水曜日の企画の擦り方自体に耐えられなくなる瞬間が来たりしたら、製作陣や視聴者が「タレント一人を限界まで摩耗させた」っていうのをありありと感じてしまいそうで、それも怖くないですかね。

 どうですかね?考え過ぎですかね?

 いや、わかんないですよ。そもそもクロちゃんと制作側でしっかり合意が取れてたり、僕が戸惑ってるだけで、見ている人の殆どが適温でクロちゃんの企画を笑えてるのかもしれないし。水曜日のダウンタウンって、この辺の曖昧さの仕掛け方もちょっと怖いのよな。うまいってことでしょうが。

 僕は、なんか怖くなって見なくなっちゃいました。

 モンスターハウス、話題みたいっすね。

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