がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

おじさんは不快虫と大体同じ

f:id:yagi_ttm:20181112103116p:plain

スポンサードリンク

   

「おじさん」としてそこに居るか

 満員電車に乗ると、女性の近くに立つのがとても怖いんですね。痴漢に間違われる可能性があるので。

 女性は女性できっと、「痴漢されるタイプの人間である、という自意識を必要以上に持つ人間性だと思われるのはちょっと」という考えと実際の痴漢被害との間で苦しみがあるのかもしれませんが、男性としましても、特に加齢を経てくせえとかきたねえとか感じさせてしまう気持ちから、その存在を痴漢とみなされるような可能性を心配してしまう。行きにくいのう。ヤス。

 「俺はまだまだ若い」という自覚をむき出しにする中年というのは、自分にとっては見ていて不快なもんでした。その矢が今自分に放たれている。まあ、むき出しになってなくとも、年齢に適した佇まいでないことに気づけないでいると、周囲に迷惑感情を呼び起こしてしまう。僕は、「迷惑感情」って、社会生活上無視できない要素だと思っているので(安田純平さん関連のニュースとかね)、自分がそれを呼んでしまう可能性についてはできる限りは排除したいと思ってしまうのです。

 

例えば「適した格好ができない」とか

f:id:yagi_ttm:20181112112147g:plain

以前システム開発会社に努めていたころ、慰安旅行で、同僚・上司達の普段着を始めて見る機会がありました。そのとき40代前半の先輩上司が、大体この雰囲気のTシャツ着てきました。この服自体のファッション性がどうたら、というつもりはないのですけど、この服を着たいと思って着る感覚って多分、10代も前半くらいだと思うんですね。だから、「こいつなんちゅう格好しとんねん」と思いました。

 加えて、この画像は「英字 Tシャツ ダサい」で検索したことを白状しておきます。「ダサい」って曖昧な感覚を共有しようとすんのって、勇気いりますね。

 

大体の人は自認年齢が実年齢に追いつかないっぽい

 しかし、実際に歳を食って35歳になってみると、自分という人間がどうも、35歳になった感覚ってのが薄いんですね。そら、所帯も車も家も持ってない上に、自分の場合は学生生活を派手に失敗しているっていうのがあるので、得るべき実感が欠けているという感覚があるんです。

 そして、何人かとそういうお話(実年齢と自認年齢について)をしたことがあるんですが、「いやー、まだなんか、自分がハタチぐらいの感じというか」と結婚した人であっても話してました。超わかる。多分、この感覚の人が結構いるのだと思います。

 と、いうところで、自分についてお話するときは「おじさん」という言葉を適宜使うようになりました。使い始めると、「若く見られたい、の裏返しに捉えられがちだし、実際そういう感じで使ってる若い人おるな」とわかってくるんですが、それでも僕は、見た目の特性上も含めると「自分を必要以上に若いと思っていると思われたくない」というほうが勝って、欺瞞を感じつつ今も使っています。

 

高校生とおじさんには利根川の流域面積くらい距離感がある

 僕は以前、高校で障害を持つ高校生のヘルプをする仕事があったため、30歳を過ぎたこの体で、スーツや襟付きの服を着るわけでなく、IDカードだけ下げて朝から夕方まで高校校舎にいるということが定期的にありました。そのとき経験した状態について、驚きがあったわけでもなかったのですが、想像しきれない状態でがありました。

 周囲には当然、15~18歳の学生さんがうろうろとしており、学生さんの多くは、33歳くらいだった僕について、「”ヘルパー”と呼ばれる動く肉」程度の認識をしているようで、人間として捉えているという感覚はありませんでした。挨拶をすれば返してくれるけど、声をかけられることもなかったし、人生の先輩としての興味の対象でもなかったし、当然こちらからも必要がなければ声をかけることはありませんでした。

 僕は、30を過ぎてからは特に「おじさんになっていっている」と自分にしっかりと言い聞かせており、例えば『おいオッサン気持ち悪いのう』と声をかけられても『ハッハッハ、若者、そういうことを年上に言ってはいけないゾ!』と山男のようにおおらかに対応できる自信があったし、必要であれば疎まれるような注意をする立場になることも想定していました。しかし、実際は、基本的に「何も起こらなかった」のです。

 よく考えたら当然の話で、「見知らぬ年齢2倍くらいの人間」って、埋めきれないくらいの心的距離があって、精神的肉体的に未発達なミドルティーンの学生さんが、我が気力を使って、そんな遥か彼方の湖岸にいる人間に興味を持つ必要がないわけですよ。部活に恋に勉強に、明日食う夕食に夢中でしょ。普通。

 ちなみに、少し話すようになった高校生に「存在感薄いな(タメ口)」と言われたことはあります(傷ついた)。

 

自認年齢を上げていなかったら面倒くさかろうな

 上記の仕事をしている最中、僕がもし、僕の心のコアにある「自分の心身が35歳に達した感覚がない、ハタチくらいな気がする」という部分をもって、同じ目線でその場に居続けたらどうなるのか。『キモイ』一択ですわな。まあ、僕が相当にハンサムだったり、何かキャッチーな部分を持ってない限りは。無いし。

 そう考えると、社会人年上男性と女子高校生がうっかり付き合う少女漫画みたいなのって、『キモイ』が発生する準備状態を乗り越えられるイベントや関係性はすでに乗り越えたっていうことが示唆されているわけですな。そしてその準備状態って、読み手にとっては多分快楽的でないと思う。その少女漫画について具体例は一切出ません。あるんですかねそんな漫画。ありそうだから書き放ってみた。NANAの出だしそんな話なかったっけ(未読)。

 この、周囲から見たときの実年齢と自認年齢のギャップが呼び起こす不快さが、ゴキブリやカマキリの幼虫大発生みたいな迷惑感情を呼び起こす可能性があり、おじさんはこれにとても恐怖するわけです。更に、恐怖しないでブイブイのおじさんに対して、不快を感じてしまったりするんですよね。

 

年齢を重ねることは恐怖であった

 まあそもそも「実年齢に自認年齢を追いつかせなければ迷惑なのか」「迷惑かけて何が悪いのか(過激派)」みたいなところから問うていかんとは思いますけどもね。少なくとも、高校生の中に身を置いた経験のある身としては、ただそこにいるだけの中年に対して「どうしていいかわからない」という気持ちをさせてしまったという気持ちにはなりました。

 同時に、やっぱり自分が老いていくことについて、自分で処理できなかったんですよ。特に僕のように「何もなさずただ老いた男性」って、迫害の対象になりやすいんですわ。ただ、そこにいるだけでね。ああはなりたくない、っていうそのものになりつつある。自分を守るために、若さすら手放した自分の位置が下がっている意識を急いで作らなければいけなかった。若くありたいというよりも、老いていきたくないと考えてしまう。「おじさん」と口に出していると、醜く老いる要素を一つ打ち消したつもりになれるのかもしれませんな。

スポンサードリンク