がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

49歳引きこもり長男ニュースが身につまされる

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 9歳から40年間自宅に引きこもっていた方だそうで、まあなんというか、見ていてつらい。読んでいてつらい。僕は、自分の顔について「幼い」と言われることがコンプレックスであって、それは、人として必要な経験が足りてない状態が顔に現れていることだと思ってしまうのよね。

 頑張ってダメで、を繰り返しながらも、一応ついこの間に数年の社会人ごっこをやり遂げて(遂げてはないか)、まるで普通の人のようにそこに立っていることだけはできるようになったと自負してるんですけど、顔について、「年より下に見える」と言われたとき、『俺は何をやってももうダメなんだろうな』とがっかりする気持ちになる。きっと、すべき苦労を見逃したり、背負うべき責任から目を背けたり、気づくべき・考えるべき事象について何の意見も持つに至らなかったから、それがきっと顔に現れているのだろうと考えてしまうわけです。実際にこう、何か自分で手にしたというものが全く無い。実感がない。生きている感覚というか。

 自分が望んで獲得したかったものが何もなく、これから生まれてもこないような気がしている。そういう人間は、引きこもるくらいしかやることがない。

 

 この方の引きこもりがどの程度のもんだったんだろうね。

 社会に接さずに生きてきた人間の様子のおかしさって、すぐわかるんですよね。僕もそのタイプだから、目があって挙動不審さですぐわかる。

 僕は障害福祉の分野で数年働いておりまして、アスペルガーの方とお話することも多かったんですね。「まるで健常者」のように見える方も数名いましたわ。発意も発語もばっちりで、冗談で笑ったり冗談を言うこともありました。でも、物の見方が恐ろしく狭いんですよ。そして、その狭さがわかりにくく、気づきにくく、言葉に現しにくい。それでいて、それぞれ違うんです。傾向はあっても。

 そういう「自分の持つ世界の狭さ」って、脳の器質的に幅を持てないゆえに「発達障害」っていう名称が必要なのであれば、予め経験できなかった人間や、自分みたいに経験を連続的にしていくことに精神的負荷がかかったりする人間も、何か便利な名称がほしいなあと思うのですよ。

 

 つーか、それらの違い(があったとして)って、この社会において、めちゃくちゃ無力なんですよね。お構いなしですよ。当たり前です。

 精神保健福祉手帳やら療育手帳やらという自称以外の証明がない場合は、「ただサボっている人間」でしかない。俺だよ俺。

 この状態に親も本人も耐えられなかったら、予めこの社会に居なかったことにしたくなる気持ちもわかります。自殺なり、引きこもりなり、人間関係の整理なり。メンドクセエんですよ。生きてるだけで。そして、面倒くさくなく生きてる人が血吐きそうなくらい羨ましい。

 追い込まれているという感覚から一回でも反撃したくて「自分は本当に苦しんでいて、嘘じゃないですよ」という証明のために自殺するの、気持ちすげえわかる。しないけど。多分。ただ、なんでしないかって、それが自分にとって「美しくないので」程度の超柔らかい根拠だからな。

 好き好んで世界狭めたわけじゃないんですけどもねえ。