がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

納得して楽しめると生きている感じがする

 まーなんちゅうか勢いが重要であるなあと思う今日このごろであります。

 こうやってとりあえず文字を置き始めると「お、なんか書けるぞ」と思ったりするのですが、出来上がったもの自体見返すような価値が見いだせず、塩漬けにしたり全部消したりで結局見せてないという。この書き出しに飽きてるくらいである。

 

 日常。

 わりかし忙しい、というわけではないのですが、「ああ、これが生きているというやつか」と思う毎日です。そういう日常です。

 自分で決めたことを、恥も外聞もなく、とにかく一つずつやりながら過ごしていると、大体1ヶ月が終了している、というのを、もう10ヶ月繰り返しており、つまり僕は10ヶ月天下無敵の無職を忙しく継続しているということになるのですな。

 自分が決めた予定を自分の責任で実行いたしておりますと、やらないことによるマイナス期待値のようなものがダイレクトにやってくることとか、それに自分による「納得の強制」のようなものがやってくるわけで、よっぽどの体調不良や気分のダウンがない限りは一つ一つやっていくことになりますので、「無理すること」すらもその責任の移譲が不可能なんですね。それが心地よいので、生きてる感じがします。

 これまで、ある職場に所属していた場合には、「8時40分にオフィスの机で座って待ってろ、そっから給料発生すんだから」と言われ、序盤にどうやら僕がそれに納得してサインしたりハンコついたりしたために(実質『断る』という選択肢が無いしな)、とりあえずそうあるために、朝起きて、髪にペタペタといい匂いのするアブラを塗って、夏はエアリズム(自腹)、冬はヒートテック的なやつ(自腹)、の上にカッターシャツ(自腹)、スーツ(自腹)、革靴(自腹)ときて自主的に出勤することに、毎朝「死ぬか辞めるかしかないのだな」と思っていたものでした。

 時々は、その落ち込みがマックスになって、動けないくらいになっていたとしても、とにかく今日一日をごまかして、明日一日をごまかして、土日になることを夢見ながら、職場とその近辺の人間に対しての死を望みながら、買い置きのチオビタやらレッドブルをちるちる啜って出勤しました。

 

 無職やってますと、この落ち込み自体、もちろん「とある職場に属している(から始まる無限大のストレスとその予期)」が大いに影響していることはあったのですが、そもそも僕の体質的なものだったというのもわかるところでした。

 僕は定期的に気分がガンと落ち込むのでした。なんか、超どうでもいい、急に自分が口走ったこととか、人から聞かされた言葉とか、やったこととかに影響されて。

 先日キッカケもすぐ忘れてしまったくらいのことで急に落ち込んで、「あー死ぬしかないねー(素敵な人生を過ごしたい、と主張している)」と朝起きてぼんやりしていたのですが、朝からちゃんとやることやりました。

 それは、「やること」自体を、僕が納得して、ある程度楽しめているからなのでした。

 

 この「納得して楽しめる」ということを、健常者の場合、それまで過ごしてきた人生の中で、編み上げて、身を置くどこかで見つけて、時々は誰かと共有していけるのだろうと思うわけです。

 そうあることに対して、僕は、想像がさっぱり及ばないので、ダイレクトにその状態を「羨ましい」とは思えないのですが、自分がもし「そうある人」であった場合には、いらん悩みで20年も苦しまなくて済んだり、今の自分とは違う人生がまたあったのだろうなあ、と仮定の中の仮定という不毛なことを思うのでした。わりといつも思う。

 その人生はどういう人生なんだい、ねえあなた、と。

 俺はもう、人並みの人生はとっくに諦めているのだが、あなたのそれは獲得したものだったのですかね?気がついたら握ってたもんだったんですかね?僕にもそれ実践できるんですかね、あるいは過去できていたんですかね?と。

 俺はサボったつもり無かったんだがなあ。

 

 ところで、僕が普段やってることについて、金についてどーたらこーたらという話にどうしてもなってくるので、ゲスくて筆が止まるゆえに、ここに書くことも無くなってくるのですがどうしたらいいもんでしょう。

 この一歩先から闇で、保証はないんだけど、初めて僕は、明日からも自分の人生をなんとかしていくという実感があって、「無職向いてるなあ」とは思うのでした。