がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

休みを自分で作るのすけ

 現在の生活は、「現在の生活を続行する」ということを目的に、主に不労所得を得るために毎日を消費しておりまして、休みはもう「今日は何もしない」という僕の意思次第になってくるんですよね。それって実質、休みにあんまりならないのです。『休む』ってすげえ意思が必要でした。いやまあわかってたんですけども。

 労働やってるとき、何が絶望的だったかといいますと、土日なりに休みがやってきたら、その休みの初日にもうすでに「この休みは明日で終わってまた仕事をするのに、なんの意味があるのだろう」と考えてしまうのでした。いつかその労働が終わるときがあれば、その休みに向かって頑張ることはできるのに、それは雇われる限り絶対叶わないんです。

 このとき、職場が自分にとって、全くストレスフリーで、労働そのものの捉え方もうまいこと変容しいれば、というIFを何重かに噛ませたようなプログラマに怒られるやつだった場合は、土日の休みを単純に休みとしてありがたみを感じられるのかもしれませんが、僕は労働を始めた16歳から「いつかそれを辞めること」を救いにして生活しており、この考え方をどうにかしようと自分や職場を変える努力をしてきました。

 20年がんばりましたが、今の所疲れて諦めました。

 ムリじゃないすかね。

 

 じゃあ、ってことで、労働しない形でいろいろなことを始めてみますと、今の所僕がすべて納得した上で僕の行動を決定しているため、僕の決めた毎日の行動基準に当てはめた場合、基本的に一日も休みがないことが多いです。

 たとえ昼寝をしても、卵を焼いていても、録画のテレビをぼんやり見ているときも、「ゆくゆくこうなっていこう」「そのためにはアレかなあ」「テレビ見てる場合じゃないのになあ」とずっと考えており、気が休まりません。目標と段階と手段を全部自分で、納得した上で生活しておるので、2月は特にやればやるほど結果が出た月だったので、起きてから寝るまでの時間は今やることをやりながら今後のことをずっと考えておりました。

 そうするとですね、えらいもんで、体調も気分もダウンしました。

 納得した上で行動していることであっても、肉体やメンタルって使えば使うほど消費するみたいでして、例えば肩甲骨の辺りが張り付くような痛みが出て取れなかったり、仕事をしていたときのように「ああ死にてー」と家で一人で怒鳴るようになってきてしまいました。まあこれは結構キャリアのある悪癖なんですけども。

 

 そして3月、頑張ったものの全然結果出ませんでした。ギャフン。

 結果が出なかろうが僕はこの生活を今の所続ける以外に選択肢がないので、継続して頑張ってはみたのですが、もろもろ経費考えますと赤字になっております。

 

 と、いうところで、最近治験コーディネーターと方から「空いてるから来いや」と連絡頂いたので、明日からしばらく治験で入院してきます。

 若者の中に入って数日生活すんの、正直全然気が進まないんだけども、自分のパソコンや本棚や原付から離れることができる上に、多少お金もいただけるのは「あれ?これって有給休暇みたいなもんじゃね?」と思いました。無職最高。

 

 この生活を始めてみて、労働とプライベートとか、就業と休みとか、そういう部分がちゃんと切り分けさえできていれば、もう少し生きるの楽なのかな、と思いました。どこでそれ学んだらいいのか全然わからんけどさ。

 「明日も労働がやってくるのに、今日映画見たって外食したって何の意味があんねん」って思わなくなることなんてあるんだろうか。難しい。ムズくない?それだったら開き直って、労働の捉え方やこなし方を少しでも向上させるように休みを消費したほうがまだ可能性あるような気がしてしまう。僕にとってはそっちのほうが、同じ死の宣告でもカウントダウンが長かった。

 休むときは「休むぞ俺は!死んでも休む!それが少しでも労働の心労を減らせる可能性があるんだったら、俺はそれに賭けて死ぬ寸前まで休息してやんよゴミが!」と噛んだ下唇からよく出血してました。

 

 とりあえず行ってきます。