がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

自虐じゃないんだ認識なんだよ

 息を吸うように自虐をしないようにしたいと思いました。

 いや、自分が別に自虐をしながら生きている意識というのもないのですが、自分を下げて何かを話すことに慣れ過ぎてるがゆえに、下げる段が他人にとって気を遣う階層に達していることが多く「偉そうになりたくない/気を使わせたくないゆえの防御」としての行う下げ発言が「そんなことないよと声かけを強奪する目的」と捉えられかねないことを危惧しているわけです。

 そしてもっと言いますと、実際に「そんなことないよ」を強奪する目的で自虐を挟む人がこの世に多数存在することが煙幕になって、自分についてもややマジ感がでてしまうのがまたややこしい。気を使わせないために、または気を使わないために行っていたことが気を使わせ、気を使わせている可能性が高まってくることに気を遣うようになるという、なんていうかね、これをね。日本語にすると「地獄」ですかね。他人とは地獄。地獄とは他人。だからもっと自分が思う自分というものを修正するところから始めていかないといけないと思いました。

 「いけない」とか言い出すから結局殺し合いになるんだわな。「やってけたらいいなあ(アイ・ウィッシュ)」でいいのよ。多分そういう風に生きてる人多いっすよね。そのために努力をしていこう。むしろ僕はそうなっていくためには、親を山に捨て、片腕を失うことも辞さない(アイ・ウィッシュ)。

 

 実際のところ、僕は僕が認識する自分について、「現状自分が思う自分はこうであって、おそらく客観的に自分はこうである」ということを、主観的にではありますが、とりあえず日本語にすることはできるんです。冷静な自分についての評価といいますかね。まあ、そもそもこの世の認識に主観的でないものなどないのですが(~でないものはない、という日本語的表記)。

 それ自体を求められていない感覚ってありますよね。世の中に。社会に。

 就職面接などを行脚していた時期などありましたが、面接に通るための手順がある程度マニュアル化されておりまして、僕が解釈するところによりますと、お互いがお互い「いいように誤解してくれよ」というブラフの投げ合いになっているような気がしたわけですよ。「ありのままのあなたを(嘘じゃない)」と言いながら当然最低限のマナーを求め、それを図る目的があるのに、学生側は着たくもないスーツと革靴で「オンシャのリネンにキョウカンし」と謎の呪文を覚えてガード上げながら首振りつつ殺しにくるわけですからね。

 実際のところ、就活マンの本音「なんか仕事せんとなと思ってるところに募集があったんで応募しました、家近かったし」ってのは、企業側からすると「そうかもしれんが言うなよ馬鹿」であって、就活マンからすると「こういう人間性ってのをわかってもらわないとお互いアンマッチで困るでしょうに」でもあるし。だからこう、建前を耳揃えてくる程度のカロリーを払ってくれる人間性なのかどうか、とかでお互い首元掴み合ってマッチングさせるわけですな。それすらマニュアル化されすぎて形骸化している、『2周目』くらいに突入しているがため、就活マンは嫌気が指すのでしょうが。

 

 僕はそういう、人との関係性における機微に恐ろしく疎い人間でありまして(自虐でなくて実際そうなので)、何かについて誰かが、その評価と思えることを話したときは「その人はそう思っている」ということをすごく意識します。そのあともしかしたら「僕はこう思っている」という話をすることがあるのかもしれんですが、それはフォローじゃなくて、会話として僕の認識を挟み込むのみだったと思います。「僕ダサいんでねえ」といった人がいれば、「僕はそうでもないと思います」という発言をするタイミングがあればするだろうし、なければ「この人は自分でダセエと思ってんだな」という認識を僕が認識するだけになると思います。その人が、僕のフォローを織り込み済みで発言したかどうかは、まじでそういうのわからんのです。どうやったらわかるんすかね。

 

 と、言いますのもね、ついこの間、前職の先輩とご飯を食べる機会がありまして、そのときに、僕の現状について大体お話したんです。もう、前日から『無職になって、職に就かず食っていける方法をしばらく探しています、っていう言うぞ!引かれても言うぞ!嘘つきたくないんや!』と覚悟していました。

 その際は、先輩方「へー」くらいで別に何のリアクションもなかったんですが、まあこのー、株とパチスロをメインに収入を出している僕の生活をさわり程度お話したら「人と会ったりは…?」「ご飯どうしてんの…?」と、とても一般的な感覚で湧いてくる疑問であり、僕にとっては少し耳に痛いことを聞いてこられたんですね。ああ、やっぱり、これを続けることは普通じゃないんだな、と思い知らされたんです。

 

 「やー、もう、ほぼ一人で生活してまして」

 「あんまり動かないんで、3件向こうのスーパーに徒歩で行って運動したりとか」

 「カット野菜と卵でビタミンとタンパク質補給してます」

 

など、そのまま言いながら「成分だけ見ながらメシ食ってるんで、エサみたいな感じですねえ」とか「独居老人の生活と同じ感じです」と、例えてお話しました。わりとぴったりくる表現だと自分で思っておりました。

 すると先輩方は『いやいやそんな…(言葉続かず)』『まあでも健康が一番だし…(その話してない)』となんか僕としては必要のないフォローを強盗してしまった場面があったんです。

 悪い事したなあと思いました。話すんじゃなかったな、と。

 

 さらにタチ悪いことに「これは自虐じゃないんです、実際そうなんです」とやんわり強調することで、それらフォローが不要なことをアピールしていた時期もあったんですよね。するとねえ、人は困惑します。困惑させることを望んでいなかった。みなさんやめよう。

 

 そんなわけで、僕は、「それが自虐的に聞こえるかどうか、それによってフォローを強奪してしまう可能性があるか」を検討しながら、何かについての自分の評価を話すことをまた八木社会化プランに組み込んでいこうと思ったわけです。

 

 生きるのめんどくないすかね。一番生きやすい方法って死ぬことじゃね?

 

 まあ、そもそも人と会う予定なんか滅多にないがな(ギャフン)!

 ガハハ(ギャフン)!