がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

落ちている生の500円玉をどうするべきだったんでしょうね

 先日500円玉を拾いました。

 で、飲食店の前だったので、お店に入って500円をそのまま届けました。

 数日前のことになるんですけど、「あれはなんだったんだろうか」と思うわけです。何がかっていうと、「この届ける行為って誰にとってプラスだったんだろうか」ということなんです。

 財布に入ってるわけでもなくて、ただただ、生の500円玉が道端に転がっていたら、そりゃもう誰のだか一生わかんないと思います。名前の書いていない貨幣を、『お店の前だから』という理由でその店に届けるのって、もしかしたら筋違いだったのでは、と思いました。

 

 ていうか僕、それ拾って自分のものにしようとも思いました。

 さすがにそれ拾ってポケットに入れて、発覚して、訴えられて、投獄されて、これから死ぬまで女囚さそりという展開はないと思います。数々の悪事がある中、拾った500円を自分のものにする行為って割と許される類のもんではないかと思うわけです。僕はまた、その目的地に電車代数百円払って向かってる途中だったので、「お、ちょうど移動費の足しになるやん」と思いました。

 財布に入ってるわけでもない、生の500円玉をどこかに届けたところで、落とした人はあきらめ、預かった人は困惑して、しかるべきところに戻らんでしょう。この500円は、誰かの手から落とされた時点で、存在が失われた金だと思いました。

 事実、「あのー、店の前に500円落ちてたんですけど」と店員さんに金を差し出すと、「はあ、そうですか」と感情の読み取れない対応でコインを受け取っていました。生の金が届けられるようなパターン、あんまりないのだと思います。

 むしろ、500円は拾った人がそのままもらうほうが自然な気がしました。コストの問題よコスト。一応お店は、持ち主が現れる可能性を考慮して、セロテープに張り紙でも貼って、日付と場所を示して数日置いてみたりするんだと思います。でも持ち主は現れないでしょう。なんか、余計な仕事を作ってしまった気がする。

 僕は決して、500円が暴れるほど欲しいわけではないんですけど、二度と持ち主が現れないコインを、店員さんの意味不明な仕事を増やしてまで届けるくらいなら、別に僕のポケットに入れてもいいような気がしました。

 まあ、現場でそんだけ考えていたわけでもないんですが、拾ってしまった時「あ、めんどくせえな」と思いました。ラッキーとかじゃなく。

 

 でも、久々に拾得物をやりますと、思った以上にネコババするガッツが湧いてこないんですよ。昔と違いまして。加齢だろうな。

 子供の頃とかって、あんまりそういうの考えなかった気がします。拾ったら欲しくないものまで自分のものにしてたくらい。金だったら余計にね。

 500円玉を拾って自分のものにするのって、ちょっと泥棒感が出るんですよ。拾ってるところとか、それを届けるためであろうとも、一応ポケットにしまうところとか。考えすぎかね。「俺は決して泥棒してないぞ」と言い訳が急にほしくなる。最近また、街中のどこに監視カメラが設置されてるかわからんしさ。

 だから、500円玉を届け、店員さんに不思議な顔をさせたことを思い出しながら、「俺は俺のプライドを守るためだけに届けたのかな?それはそれでよかったのかな?」と考えていたのでした。「ええやん500円くらい貰っとけば」「誰も何も騒ぐかよ」と考えてる、結構ニュートラルな自分もいて、悩むところなのでした。

 

(「警察に届ける」とかはベストアンサーかつさすがにやらんですけども)