がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

無職は快適であった

 生活をしております。

 

 生きておりますれば、まあいろいろとあって、ここに何か書くこともふと思いつくのですが、僕がいまやっておりますのが、「無職ながらお金をリーガルに手にする」という方法のいくつかでありまして、それをやってると大体毎日が終わるわけです。よくよく考えたら、ここで自分が無職であるってことを明確に書いてなかったような気がする。無職です。アイハブノージョブですね(好きな英文)。

 もちろん、関連して「ああ、これはこういうことなんだな」とか思うことがあって、携帯にメモをぶちこんでおいたりをするんですけど、その結末の大体が「こうして僕はこのくらい金を手にしました」とか「こうして僕はこのくらい金を失いました」という話につながってきますので、非常にゲスくて書く気が失せるのでした。

 そうして考えると、僕は生活のすべてを文字にするような気が全くなくて、どうしてもここで格好つけていたいのだと思った。

 

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 僕は月単位でどんくらい生活にお金を使っているのか真面目に計算したことがなくて、何故かといえば、これまでは明らかに収入に対して支出が少ないという確信があったためです。だから、余ることはあっても、口座や財布のお金がショートする心配はなかった。無駄に使うタイプの人間でもないし、「必要だな」と思い立って20万くらいの買い物を突発的に、年に数回くらいする余裕は常にあるのでした。

 ところが無職になりますと、今手持ちのお金が全てとなっておりますのでとりあえず自分が一ヶ月使用する生活費がなんぼのもんか把握して、「大体こんくらい稼げないと目減りする」ってことが明らかなわけですよ。そうなるともう、必死でございます。

 僕は今のところ、どこぞの組織に所属して労働力を売り払うという生活スタイルに血反吐が出るような嫌気を差しています。さんざんやったの、これ。疲れた。

 1月、ハローワークの募集を眺めて、具体的に話を進めようと真剣にした時期があったのですけども、その日と次の日が落ち込みで動けなくなりまして、雇われないでなんとか生きていけないもんか、と今必死で動いているところです。

 

 その結果ですけども、毎日大体7時半に起きて、24時に寝る生活をしております。

 やっぱアレですね。お金を得るために動こうとした場合、労働してお金を得る生活スタイルと大体変わらんことになりますね。ようできてるな、会社勤めってさ。

 

 ただねー、今の生活、本当にストレス少なくて助かる。

 自分の都合で、自分のためにすべて動くので、自分がそれをやったりやらなかったりを常に選べて、その責任がすべて自分にあるんですよね。やることを納得した状態でやるので、以前のように髪をセットしてスーツを着て、持ちにくいカバンと動きにくい靴で出勤しているときの死にたさがない。「死にたさがない」って、何か人生っぽい気がした。

 メシとかも、朝と昼の間に一回、寝るまでにもう一回とか、2回くらいに調整できるし、食べたくなきゃ食べないでもいい。

 どんどん、一人の生活が強固になっていって、何にも対応できなくなっていく恐怖とかがあるけど、今やっと「落ち着いた生活」が何なのか体感しておるところです。これが続くことを望んだら、いけないことなんだろうかね。よくわからん。僕の今の望みは、できるだけこういう生活を送りたいということです。

 

 余裕が出てきたおかげで、前から気になってた資格勉強とか、労働に手を染めているときに手をつけられなかった掃除とか、時間があるときに少しずつ進められるようになった。いや、時間だって自由に作れるんだけど、「仕事が終わったんだから自由に過ごせるだろう」っていうんじゃなくて、「それをやろうと自分が納得した時間」を使って過ごせるのがすごく大きい。

 思えば労働やってるとき、労働以外の時間も実質労働に支配されていることに、死ぬほど(例えでもなく)納得いってなかったのよな。

 「明日の7時に必ず起きなきゃならんのに、夜中の3時までうっかり起きてられない」みたいなこととか、飲みとか社員旅行とかもそうだし、携帯電話だって、俺の趣味で持ってるようなものなのに、会社が一銭もその費用負担しないで、俺との連絡手段としてフリーライドしてるのとか、まじで納得いってなかった。

 

 今はもう、とにかくこの生活を維持するためにどうしたらよいのかを、必死に考えて実行しているところであります。もちろん、社会的な地位は死んで、もしかしたら動物的にも実質死んでいて、僕はもう存在してないようなもんなのかもしれないけど、それすらちょっと、望んでたんかもしれないというような気持ちであります。