がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

ゲーセン潰れるのが寂しいと思うだけの人間である

f:id:yagi_ttm:20190119113008p:plain

ゲーセンの閉店を告知するためのツイッターアカウント

twitter.com

スポンサードリンク

   

ゲーセン潰れてますね

 ゲームセンターがどんどん潰れております。四国で展開する「戦(いくさ)」が閉店するようです。僕は大阪に住む人間ではありますが、かつては、近鉄沿線やJR沿線の3駅に一つくらいは駅前にゲーセンがありました。恵美須町界隈ならアスカ2やスコット、天王寺サンライト、八尾ポテト、長瀬UFO、天満ベガス、パチンコ屋は税金対策だかなんだかにゲームセンターを備えて放置しているケースが多くて、レバーの玉やボタンがタバコで溶けて死んだ筐体にレトロゲームがピカピカ動いているだけの、名前もよくわからん店が多くありました。僕が思いつきで愛知に行った際は、閉店直前の大須スカイに行ったりもしました。

 今上に書いたゲームセンターは、今はもうすべて閉店しております。新規で開業するゲーセンは、タイトー、ナムコ、セガなど体力のある企業が開く程度で、個人がビジネスとして開業するゲームセンターは皆無だと思います。大阪では、新世界界隈で「ザリガニ」というレトロビデオゲーム中心のゲーセンが出現して数年経過し、3店舗くらいに増えていますが、新世界という土地柄、ゲームプレイというより観光や感傷に訴えて成功しているのだと思います。ていうか、成功しているかどうかはわかりません。あとは、個人経営なら南森町のコーハツが、かなりゲーセンユーザーコミュニティと配信との共存を前提にして、生き残っているところでしょうかね。

 僕もゲームセンターに行かなくなって久しいんですけども、ゲームセンターがつぶれていくことを悲しく思っております。利用しなくなったくせに「残ってくれればいいのに」と思っております。

  この数字は、ラウンドワン的業態やプライズ・メダル専門のゲーセンも含んでいるとのことなので、ビデオゲームを含んだ業態のゲーセンというものはこれよりはるかに少ないとのことです。僕は、「まだそんなにあんだな」と驚いたくらいでした。

 僕の家から一番近いところの某大型ショッピングモール内にゲームセンターがあるのですが、子供向けゲームとメダル、スロット・パチンコが中心で合って、ネシカ筐体やディシディア、FGO、ボンバーガール、星と翼みたいな、流行りの専用筐体の通信ゲームの類は一切置いておりません。ゲーセンの機能に求められるものは、現在そういうことになっているのだと思います。

 

ゲーセンは福祉となっていった

 テレビで生活保護を受ける精神障害者のドキュメンタリーを見たことがあり、「ヒマだからパチンコ打つしかやることない」と、保護物品をガンガンパチンコに突っ込んでいる姿が映されていたのを見たことがあります。まあ、一部の方にとっては『そうであってほしい生活保護受給者像』なんであろうと思います。それはおいておこう。

 布施といえばセガワールドなイメージありますけども、セガワールドがまだ生き残っていて、カップルや家族連れやガチ勢にきっちり利用されているのに対して、僕は、駅前のパチンコ屋(確かベニス)の横らへんにあった、汚くて暗い、店員を見たことすらない、誰も利用していないゲームセンターによく行ってました。

 ある時期僕は、登校するふりをして電車に乗り、誰にもその姿を見られたくない一心で暇を潰せる場所を探して、その手段の一つにゲームセンターにたどり着いたのでした。その店ではメタルスラッグ、脱衣麻雀、ギガウィングなんかをぼんやりプレイしていたような気がします。僕は致命的にゲームが下手なので、メタルスラッグを最後の面までプレイできたことは一度もありませんでした。

 ゲームセンターは誰もが利用できる場所であるがゆえに、一時は「不良の溜まり場」の代名詞のように使用されていましたし、実際そういう側面もあったと思います。現在は「オタクの集う場に変化した」というイメージで使用されてる感がありますが、実際に行ってみれば、上に突然書いた「パチンコ打つしかやることない」 的な人が、死んだ目で海物語のメダルゲームにメダルを流し込んでいる姿もあれば、子供をマリオカートや妖怪ウォッチの筐体に預けて後ろで見守る親の姿、カップルでプリクラを撮る姿も未だ見ることができます。そして、ガチ勢がビデオゲームで対戦し続ける姿もゲーセンにより見られます。

 ゲームセンターは「最新のゲームをプレイできる場所」が売りとなって人を集め、ゲームプレイ+アルファの販売によって売上を出している一面と、「ゲーセンに行かざるを得なかった人」の落とした金で成り立っているように思うわけです。社会的なつながりを求める高齢者が社会福祉協議会が開催する200円喫茶に参加するように、不登校者が同じ不登校者を求めてフリースクールを利用するように、同じゲームをプレイする人間と対戦するために、デートの一環に、射幸心を煽られて、人に会いたくなくて、ゲームセンターを利用するようになった。

 実際、格ゲープレイヤーのツイートを見ていると、「人がいるからこのゲームを始めたけど、ゲームとしては別に」という意見ちょくちょく見るんですよ。ゲーム単体じゃなくて、ゲームと人がゲームセンターに行く理由になってんでしょうね。

 ゲーセンの衰退・閉店については、ゲーセン対応するゲームを開発するメリットが開発側に薄くなってきていること、一回いくらのプレイ料金で経営する業態自体に無理が発生していること、ハイスペックなゲームが自宅PCや据え置きゲーム筐体で対人戦も含めてできるようになったことなど、いくらでも考えられますが、「サロンとして利用していた人」が「ゲーセンでなくてもよい環境」を見つけていったともいえる気がします。今、ゲーセンが閉店し続ける流れで「ゲーセンなくなると寂しい」という思いを抱えながら、「ゲーセンでなくてもいいのでは」と思っていて声に出せない人も結構いるのではないでしょうか。ゲームセンターを利用する言い訳にゲームをプレイしていた人が脱落していった結果じゃないかと思うんですね。

 もちろん、競技としてゲームを捉えて上を目指し、何かを得ていく人も多くはいて、その人達にとってラグなくゲームでコミュニケーションを取れる環境としてベストであるとは思うのですが、そうでない人が脱落したあとも経営を続けるには、一回50円や100円でゲームを提供する業態に無理があった。

 

自己満足でゲーセンに金を入れること

 僕はゲームセンターを足を運んでまで利用することがなくなってしまったので、通り道にあって、時間が許すようなら100円入れたりメダルを500円分買って遊ぶようにしています。

 この出費に関して、もはや商品に対する対価として支払っていないことに「これはゲーセンの為になってない」と思うことがあって、止めている時期もあったのですけど、最近はまた考えが変わりました。

 僕はゲームセンターに感謝しておりまして、ゲームセンターがなくなるのが寂しいと思っている人間です。なので、ゲームセンターの前を通ったとき、なんとなく放り込んだ100円のプライズのアームが死にきっていても、初プレイのゲームでコマンドを探している最中にCPUにぶっ殺されても、全く嫌な気分ではありません。この放り込んだ2,300円がアルバイトの人件費やネット利用料になり、その間だれかのサロンとして利用されたらいいと思っています。もう、募金箱置いてもらってもいいと思ってます。募金箱がないので、ファイティングレイヤーやアルカナブラッドを初プレイしておるわけです。

 同時に、ゲームセンターが消えゆく流れは弱まらないとも思っていますし、せき止めるためのコアに自分がなれないとも確信していますので、自己満足のためにお金を払うことにしています。ゲーセンがいよいよなくなり、誰かが放逐されるのが寂しいので、そうならないように利用した事実を残そうと思っているのでした。

 そんな場所って中々ないんですよ。

 感謝とか懐かしさとかで金払いたくなる空間って。

 

それはそうとカプコンに対して思うこと

 カプコンが「予めe-Sports競技タイトルとして設計された」スト5で莫大な賞金の公式大会とかやっておりますが、去年末のカプコンカップ最終戦が「盛り上がった素晴らしい大会」と捉えたのだとしたら、その礎には、サロンとして存在した各地ゲームセンターに生息したプレイヤーがいるのであって、カプコンはその各地ゲームセンターにあったコミュニティのフリーライダーにしか見えないんですよね。

 e-Sportsが盛り上がるにつれ、コミュニティへのリスペクトをあざとく現したって損はないと思うわけです。言い訳であっても、自己満足であっても。格ゲー界隈がウメハラというスタープレイヤーでどんだけメシ食ってるかということを考えると、プレイヤーを生むためのコミュニティへの投資って、最終的に金も生むと思うんですが、どうなんでしょ。