がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

成人式の会場に行った記憶があるという話

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 成人式に行ったことあります(絶妙に違和感ある表現)。いい歳なので。

 

 僕は母親から20歳のときにどうみられていたのかさっぱりわかりませんが、地元の成人式の開催日において、行けとかなんとか言われた記憶がさっぱりありません。僕は20歳の時点では、中学を実質ドロップアウトしていたり、夜間高校を中退していたり、なんとなく始めた工場でのお仕事をダラダラと続けている状態で、おそらく僕の父親お酒大好き病も発症していた時期でもあったため、僕が成人式に行くとかどうとか、僕も身内に報告しないし、身内から声掛けをする余裕もなかったのだと思います。

 僕が唯一小学校時代から付き合いのある友人が一人いまして、この人は超絶一般的な神経の持ち主であるため、「おい成人式行くぞ」と電話がかかってきました。

 超絶一般常識が欠けている僕は「アッ俺が行くってこと?アッ20歳だから?何が?」と、すごく混乱したまま、とりあえず普段着に上着だけひっかけて、当時地元市が大金かけ設立し、かつ当時にして運営に手を焼いて赤字を毎年たたき出していた公民館大ホールへのでかけていきました。

 

 成人式はすでに始まっていて、中には20歳のスーツの男女がズラっと並んでおりました。

 公民館大ホールの観音開きの入り口を少し覗いたままの僕は、それを見て「アッスーツとか着るアレなの?アッ成人式ってあの市長の挨拶とか荒れる成人のアレやんか」と、ようやく自分が出かけた先が何物かを理解してきて、生きる気力が減退しました。 いや、このときの気分をどう書いたらすっきり表現できんのかとちょっと考えたんですけど、「かつてそうであったように、生きる気力が減退した」くらいしか思いつかないのです。

 僕はまあ、普段人との付き合いが一切欠けたまま生活していて、そうすると「成人式に向けて盛り上がり、準備する民衆」を全く認識できないわけです。「イベントはイベントに自分から接近しないとイベントとして成立しない」という理屈と同じで、ただ毎日生きているだけの自分にとっては、成人式が身近なものであって、自分が参加する予定であるという感覚がまったくなく、眼前になったとき「自分にとってはやらなくていい無駄なもの」としか思えなかった。この時のような、「一般的であること」とのギャップを叩きつけられるたびに、自分は「生きるのメンドクセエな」「俺がまた間違ってたのか」「これから修正してかなきゃならんのか」とげんなりして、生きる気力が減退するんです。こういうこと、僕はしょっちゅう起こる。

 まあ、今では成人式なんざ面倒だったら参加なぞせんでよい、と胸張って言えます。僕には理解できませんが、もちろん「参加したい」「参加しないと後悔するだろう」という感覚を持つ人は参加したほうがよいとも思います。

 

 僕はスーツ軍団の中にカーキのブルゾン姿で入っていくことについて

 

「多分これは、『違う』な」

 

と、持ち前の波風立たせない直観が働き、会場前でその友人を待ちました(カーキのブルゾンを着ていたことをはっきり覚えている)。

 出てきた友人は、誰か地元の同級生がいないかとキョロキョロしてうろついていましたが、僕はその姿を遠くで見ながら帰りました。

 帰りに、小学校の頃の同級生ぽい人がスーツやキラキラした着物を着てキャッキャと話していましたが、その当時は特に、仕事中以外に世間話をする気力を持ち合わせておらず、また時間と物理的な距離が、果てしない心的距離を生み出していて、『名前を偶然知る他人』としか見えませんでした。

 今思うと、相手がスーツを着ており、僕がカーキのブルゾンを着ているという状態は、客観的にみてその人間同士の距離感を現わしていると思うわけですが、悲しいことに、僕はその当時「自分がスーツを着ていない」かつ「それでも会場付近にいる」ということに、恥ずかしさとかふさわしくなさを認識できておりませんでした。まじで、そういう障害なんかもしれんね。今だったら「ダメなんでしょうね」くらいは思う。

 

 さらに、帰り道、辛うじて同級生を見つけた友人が、小学校の頃の同級生を一人連れて自分に声を掛けました。「どうもどうも」とお互い一瞬挨拶をして、そのあとすぐ話すことがなくなった記憶があります。同じに見えたスーツの集団から一人取り出してみると、その同級生は、スーツを着た個人でしかありませんでした。

 結局、成人式が何物だったのか、何をして、何を得て帰ったのかよくわかりませんでした。今、心の底から「別に会場まで行かなくてもよかったな」と思っています。まあ、連れていかれたんだけど。

 行きたくなきゃ行かんでいいよ。意外と、今の世の中でも行きたい人おるみたいやし、文化がなくなる危惧とかもいらんと思いました。