がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

広河隆一セクハラ問題や関連事についていろいろ思う

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  広河隆一氏が放射能にせよシリア内戦にせよデマをぶっ放していたとか、自由報道協会賞を主催する自由報道協会では、3.11から元気にデマをぶっ放していた上杉隆氏やおしどりマコ氏が所属していたとか、まあそういうのはこの際取り上げるのは一旦置いておいて、この報道に関して僕は「関係者による自浄はとてもむずかしい」ということと「でも自浄を求められる」ということでした。

 

 ことリベラルな方々ってのは、この報道にも関連したmetooとかって、「新たな正しき価値観」をもとにこの世を改革していく意識の高い人だというイメージがあるのですね。別に、裏に持って回った意味は何もなく(『意識が高い』っていいことだからな)。

 今の世の中、声の大きな人が各分野において足を引っ張ることが多くなってしまうから、「世界的人権派ジャーナリスト」が自身の性暴力に無自覚なんていう、ギャグみたいな結果を生んで、関連人物や分野にクソを発射していってしまう。でも、すげえ人間的な結果であるなあとも思ってたんですよ。

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 ろくでなし子氏の書かれた「そっと削除して損切り」という捉え方の表現は、かつてと現在のおしどりマコ氏の言動・行動から由来するものだとしたら、個人的にはしゃあないかなあと思うところでありますが、とりあえず上記おしどりマコ氏のエントリーで広河隆一氏の性暴力疑惑について批判はしている点で一定評価できると思います。

 個人的にいえば「全く気付くことができなかった」と言い切るところに、お見事な印象を受けました。気付くことができなかったんならしゃあないね!無敵!

 

 小学校の頃の道徳じゃないですけども、友人が褒められたもんじゃない行動をしていれば、その友人を大事に思うがゆえに止める、止めなければ本当の友人じゃない、みたいな美しい考え方ってありますやんか。僕はあれ自体すげえ違和感あるんですよね。

 僕はコンビニ店員やってたことありまして、そこではまあまあ頭のおかしい客にエンカウント(和製英語)するわけですよ。レジの壁をドンと蹴って店員を呼ぶ年配男性とか、落とし物の届けがないことに怒って「お前のところには泥棒がいるっていうことやな!」と電話口で怒鳴る年配男性とか、そういう「僕にとっては不思議な行動(乱暴に、モラルの欠如した行動と言ってみる)をする人(①)」もいれば、買っていない商品をレジに出してきて、「レシートはない、間違えて買った、返金しろ」と明確に詐欺を仕掛けてくるどうも知的障害ぽい男性とか、仲間とゲラゲラ笑いながら購入前のパンをガンガン開封していく若者男性というような、「わかってて違反行動をする人(②)」もいる。

 ①の方々に対して、「この人達は頭がおかしいから話をしても通じないだろうな」と思うわけです。僕の持っている価値観とは別の所で生きているから、それを悪いことだと認識できないどころか、攻撃と捉えて僕が攻撃される可能性がある。

 ②の方々は「はい、悪いことしてますけどなんですか?改善する気はないし、良心は始めから傷んでおりません(傷むフェーズは完了しています)」というパターンなので、僕はただ恐怖して機械的対応しておりました。

 別にまあ、僕は店員として、そういう頭のおかしい連中に対応して金をもらうために雇われている側面もあるので、もちろん同じ目線で彼らになにか提言することなんてないわけですが、いずれにしても彼らの行動を変容させるには、膨大なカロリーが必要になることが簡単に想像できるわけです。

 

 友人やら知り合いという関係性になっていくまでって、その人がどのような人かを知って納得したり諦めたりする過程でもあると思うわけですが、軽いもので「すっごい遅刻をしてくる奴」と友人になった場合、遅刻を逐一オラオラと真剣に指摘することはなくなると思うんです。そこを乗り越えた関係であるわけだから。

 広河氏が自覚なく、傍からみてパワハラセクハラをしているのがわかっていた場合、多分広河氏が「そういう奴」っていう前提を受け入れた人が親しい関係になっていると思うので、周囲の指摘がなかったということでその責任が多少移譲するという考え方は、周囲にとって酷じゃねえかなあと思うわけです。たまたま、今回の場合はリベラル界隈に起こった爆発なため、より惨状に見えてしまっているとも思うわけですが、文春の記事にもあった通りなら、御本人は「俺に魅力があったからセックスできたんでしょ」と認識しているような人間性なわけで、そもそも「少し強引に口説いちゃったな」という認識すら無かったわけですよ。

 70歳オーバーの老人でありながら、女子大生が言い寄ってセックスに至るにふさわしいと考えて疑問を持てない体質の人間に対して、「それモテてるわけじゃないっすよ、実質ハラスメントっすよ」と指摘すること自体、どのタイミングでそれを改めて指摘するのかと頭が痛くなってくる。すでに、その人間性を受け入れて親しい関係に至っているんだから、現在親しい人間というのは、広河氏にとってはよく教育されたエリート友人なわけです。

 

 いやまあ、実際「全く気付かなかった」と言い切られたら、それまでなんですけどね。

 でも、そう言って身を守るしかないと思うのよなあ。

 

 僕は個人的にですね、「いじめを見なかった振りをする奴はいじめに加担している」という考え方がものすごく怖くてですね、気持ちよさに乗じてうっかり振りかざさないようにしておるところです。自分を守るために、ときどき類する文字列に対して反対の意思すら出します。『加担してへんわボケ』と思ってます。リベラルな方々はうっかりと「加担している」に近い意味の発言をしてしまうため、『ブーメラン(好きじゃない表現)』な光景によくなるんでしょうね。なんせ、新しく正しき価値観なもんで。

 正しくあり続けようとすると、多分、全員から嫌われていくと思います。性暴力の自覚がない人間に、「性暴力やめなさい」と声を掛け続けると、多分言っている側がメインとなって損をすると思います。社会的に生きるってことと真逆のことじゃないですか。僕らって、社会的に生きることを強いられて、隙間にこの身を押し込んで社会の歯車になることを求められるのに、時々は「なに歯車になってんの格好悪い、倫理的であれ」てぶん殴られて、その滑稽さに半笑いになることも許されない状況もちょくちょく発生するんですよね。

 知り合いに嫌われるのは嫌でしょうよ。できたら避けたいでしょうよ。社会的でありたいもんな。「吐いたツバ飲み込むなよ」は、自分の生きやすさのために、胸にしまい込みたいもんです。

 

 でもまあ、この事件は滑稽すぎて笑みがこぼれますけど。