がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

年末ガキの使いは見世物としてレベル低いでしょうがの話

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 ダウンタウンが好きであって、松本人志が好きであって、その気持ちは、ゴミ映画を撮ってツイッターで安っぽい言説を吐いて、罵倒としてでない「低学歴とは」というものを考えさせられたとしても、変わっておりません。今も実際好きですしね。超面白いでしょ。

 かつてある世代がビートたけしのマジックやとんねるずのマジックにかかったように、僕はダウンタウンのマジックにかかり、様々な有名人の中で一番くらいに影響を受けました。

 そんな流れがあって、「ガキの使い」は現在も毎週録画して見ております。当然年末特番が年末特番になる前の罰ゲーム企画二つ、「松本一人ぼっち旅館(タイトルうろ覚え)」から「鬼ごっこ」も、録画だかリアルタイムだかで見ております。

 

 でも、今年はもう録画して見る気がガタ落ちしております。

 別に、去年で飽きたから今年から、みたいなことではなくて、もう結構前から、この企画と年末特番に関しては楽しめなくなっているからです。いい加減狂騒だけでは自分をだましきれなくなってきたといいますか。

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 そもそもこの番組の始まりって、上記の通り「松本が罰ゲームを受ける」→「松本が他4人に罰ゲームをしかける」という、出演者のキャラクターと番組上のストーリーがあって面白さを確立してたと思ってるんですが、ここ数年、記者会見時に松本が言及している通り、「なぜこれをするのかわからない」という点で、『出演者が何を達成しているのか視聴者がよくわからん』という点で、ストーリー的に破綻してんですよね。 

 だから単純に、見世物としての強度が破格に弱くなってるんです。代わりに、序盤に浜田コスプレ、若林、板尾、引き出し、VTRジミー、劇団ひとり、蝶野、ダチョウ上島ゲームコーナー、会議風暴露大会、『意外な有名人が話題のアレを真剣に』みたいなやつその他もろもろ、もしかしたら『収録時の画像がツイッターにリーク』も様式美になってるかもしれませんね。あと、未公開映像もSP番組や深夜帯で流れるとかね。だから、前後がなくてブロックでみたときに面白い『ことがある』程度であって、まとめて見た時には恐ろしく退屈なんですよ。それが6時間。うん。長い。

 ご存知ですか。ストーリーのない長い映像の見世物って、基本的に悪なんですよ。プロレスだって、マットの上で殴り合ってることが面白いわけじゃないんです。

 連続的に面白いものが数多くあるっていうことはそりゃありがたいんですけど、やっぱりそれだけじゃ6時間という間が持たないんです。それこそ、この「ガキの使い」って番組は、このところのレギュラー放送なんか、ダラっとボードゲームやったり、ダラっと街歩いて有名人に声かけたり、ダラっと豆知識を言いながらドライブしたり、ダラっと大食い企画やったり、『5人のありがたみ』がなければゴミクズみたいな企画をやってて、それでも30分だからギリギリ耐えていると思います(耐えられず序盤で見なくなることもあるが)。作り手は恐らくその感覚で、ベテラン俳優がちょっと脱いだりちょっと下ネタ言ったり、甘いマスクの若手俳優が流行りの芸人のパロディやったりして、それが求められている面白い映像だと思ってる節があるんですよね。

 何が面白いかなんて、そりゃ人それぞれですけど、少なくとも僕の求める「面白い」というベクトルと逸れているブロックが数多くある。そういうときに、映像を見続けるには、出演者が背負っているストーリーって無視できないと思うわけですよ。

 ストーリーがないとどうなるかと言いますと、引き出しパートのときなんかに顕著ですが、「笑かし合い」みたいなものの意味が全くなくなるんですよ。こっちは別に、何から何までシュートでやれと言ってるわけじゃなくて(それこそ、『旅館』のときなんか怖がった松本の罰ゲームは「尻に吹き矢を刺される」で、実際出血してたらしいし)、その世界のルールに則って、起こるできごとに納得したいだけなんです。笑ったのちの罰ゲームが嫌なら、「引き出しを開けない」という選択肢が普通なので、そこは必ず出演者が開かざるをえなかったり、開けさせられるロジックを用意しないと、「設定として笑いたくないはずなのに、番組のために自分から笑いに接近する」という矛盾がむき出しになってしまってるんです。

 例えばこういう、「番組的に笑いを発生させるための都合」に対するケアがまったくなされてないという点で、見世物としての強度が下がってしまってるんです。代わりに、『前田美波里がコントに!』『斎藤工があんなことに!』みたいな部分で番組を締めようとする魂胆に、視聴者に対する舐めを感じます。

 ああ、書いててわかった。

 『甘く見られたな』って思うんですわ。年末ガキ見てると。

 すげえ基本的なこと言えば、ネタが始まる、誰かが笑う、音が鳴ってケツバット食らってる最中、コントやドラマに入った仕掛ける側の時間がそのキャラクターのまま停止してたりするじゃないですか。あのときいつも、「黒子が急いで入ってきて、5人を立たせてお尻向けさせ、叩いてすぐ帰って、すぐスタートする」っていう時間経過とテンションの維持について考えてしまうんですよね。黒子は夜中でもちゃんと近くでスタンバイしてんだな、とか考える。

 あの時間は、実時間で30秒ですか、1分ですか。お尻を叩かれるたびに、「番組としてのテンポが死ぬ」というのも、結構大きな問題点だわな。この形になって初年度から、罰ゲームとしての欠陥が出てるのに、全く変更や改善もされてない。でいてさ、パートによっては、テロップで『もう笑いましたが最後までお楽しみください』とか出したりするでしょ。その番組としての都合の継ぎ目が粗すぎることに耐えられなくなった。

 

 年末ガキの使い特番は、始まってからずっと、見世物として品質を上げることを怠っていると思います!以上です!終わり!

 

 松本に関しては、何度か年末特番の賞味期限について言及してるようなことがあって、今となってはそれは、記者会見時お決まりの『この企画自体に乗り気じゃない(ゆえに番組自体を罰ゲームとして立たせてストーリーを作る)というポーズ』に年々変化していったようなイメージなんですが、数年前まで放送されていた「放送室」というラジオでは、わりとギャグの薄いトーンで類することをすでに言っていたような気がします(「もうぼちぼち(年末のシリーズは)終わりかなって思う」みたいな発言だった)。

 僕はそのときラジオを聴きながら、『ドル箱コンテンツなのに何言ってんだ』くらいに思っていたのですが、2018年、いろいろな縛りが発生して、『ストーリーがないのに罰ゲームを受ける』というストーリー自体にも味がしなくなってる状態までただただ続くと、さすがの僕もダウンタウンマジックからちょっと目が覚めるってもんですわ。

 いやーでも一応録画だけしとくかー。

 ビンタのくだり毎年死ぬほど笑うのよな。