がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

現象に対して自然と反応してしまうという話

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 先日道を歩いているときに、「キィエエエエー!!!!!」という甲高い声が聞こえました。発情期の猫みたいな音だったので、まあそうなのかな、と見渡すと、見た目50代~60代後半くらいのおじさんが、目がうつろなまま早足で路側帯をテクテクと向かいから歩いていき、そのまますれ違いました。おじさんはすれ違った後もずっと大声を上げていました。知的障害者だったと思います。知的障害者でなかった場合は、一時的であろうとも、おじさんは障害を持つに等しい状態か、その振りをしているかのいずれかだったと思います。

 そのおじさんが通る道々、すれ違う人は半笑いになっておじさんを振り返ったり、驚いて一瞬顔を見たあと目を逸らせたり、子どももいたのですが、怯えているように見えました。

 

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 僕は以前障害者福祉施設で働いておりまして、そのときつくづく感じたことがあるのです。それは、人間が「出来事」または「予測される出来事」に反応しているだけということです。

 僕は、障害者の暮らすグループホームで世話人・生活支援員という立場で労働することが多かったのですが、仕事に入る日は、ほぼ100%で人の糞の始末をしますし、小便で濡らしたズボンやリハパンを目にして手洗いや洗濯をすることも多かったです。また、広汎性発達障害の利用者さんによる、捉え違いをした事実についての話、年齢にそぐわない幼稚な笑い話(を、他人も100%楽しめると勘違いしたまま話される話)、100回と繰り返される同じような話、僕について「モテない」「気持ち悪い」といったイジリ、自意識の爆発したオシャレの話なども聞くことになります。

 当然、僕はお金をもらってそこで仕事をする人間なので、糞のついた服についてはそのものや臭いについて、何もついてないかのような反応をしますし、話に対応した反応、求める反応を気取ったうえで笑ったり驚いたり、受け身の範囲で反論をすることもあります。僕が利用者さんに対して、「ある程度思い通りに動く存在」であることが、彼らにとって安心を与えると僕は思っているので、努めてそのように振る舞います。が、内心では大体「くせえ」とか「しょうもねえ話だな」と思っておりました。

 この業界、差別と被差別、虐待と被虐待、搾取と被搾取といった構図と絡められがちで、うっかり「ごく普通の感想」が言えないことが多いです。

 僕が、「しょうもねえ話だな」という感想を文字にすることは、うっかりこの構図に絡められます。それは、僕の当時の業務における利用者の方が「100%障害を持っている」点に由来して、「障害があるゆえにしょうもない話しよるな、という感想を持った人間」と捉えられるからですな。

 

 働いているときも全然その辺わからなかったんですけど、自分は障害者に対して差別的であるから、糞のついた服を「臭い」と思い、話の大半を「しょうもない話」と捉えてしまうのかと考えていました。全然深刻な感じでもなく、『難しいなー』って感じで。

 僕は他人と同じように、人を「人」と捉えている感覚はなかったし、変な話が、そもそも昔から大方の人間を好ましいと思っていませんでした。障害福祉の業界に少し足突っ込んだとき、障害者への偏見を是正したいという気持ちなんてカケラもありませんでした。仕事の内容について、「こうなんじゃないのか」という想像から大きく食み出ることは少なかったです。大体想像通りでした。障害者には力がある、とか、障害を個性として受け止められる、とか、『実際相当難しいじゃないのか』と思っていたら、実際相当難しいことだと思いました。僕の発想や力でなんとかできる範囲は超えていました。これを「適性がない」というなら、そうなのだと自分でも思います。

 

 そういうときに、甲高い声で叫びながら歩くおじさんを見た人たち、若者の集団はクスクス笑って振り返り、子どもは怯えて歩みを止めて注視したのを見て、「どういう状態になったら、『共生』ってことなんだろうなあ」と少し思ったのでした。

 と、いいますのも、やっぱり普通怖いし、「変」と思うんです。おじさんが大声出していると。それも、ストッパーのかからないタイプの大声出していると。

 道端で大声を出さない状態を「普通」としたら、大声を出しているおじさんは、大声を出さない人(多数派)にとって異常事態なんですよね。そこに「彼は恐らく障害を持っているので、大声を出すのは彼にとって自然なことなんですよ」という説明があったって、その後同じ状況に対してやっぱり振り向くと思うんです。クスクス笑った若者は、恐らくクスクスまた笑うでしょうよ。

 障害の有無の話じゃなくって、「大声を出している中年の男」は奇異なものとして捉えられるし、その場所が静かであるべきだったら排除されることもあると思います。「糞のついた服が臭い」ってことと同じで。現象に対して反応をするだけなのです。

 

 先日は電車で、自閉っぽい男子高校生が「座ります座ります」と声を上げながら、10センチくらいの座席の隙間にお尻を押し込んで座ろうとするところを見ました。保護者やガイドヘルパーはおらず、止める者も注意する者もおらず、膝の上に座られた女性二人のうち、片側の中年女性がさっと席を立って隣の車両に移り、男子高校生はそのまま空いたスペースに座りました。同じような話ですね。「自分勝手に座席カツアゲすんなよ」って、僕は思いました。障害者云々関係ない。そっちが自然にそうしてしまうんだったら、こっちだって自然に反応してしまうよ。

 まあ、僕が職員だったら、その場で「スペースがないのに座ってはダメですよ」と指摘したと思います。また、自分が座席をカツアゲされる立場だったら、簡単には譲らなかったと思います。まあでも、遠目で見る限り、ベターな対応を考えて実行するカロリーが勿体ないというのが正直なところでした。金貰わんとやってられん。

 

 自然とそのように反応してしまう、ということは、日常生活でどこまで優先されるべきなんですかね。よくわからんのです。