がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

NORIKIYOに感じた「ラッパーの足りなさ」に対する自然な反応

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急にヒップホップに対して「違う」となる35歳独身男性

先日、完全に「違う」と思ってしまいました。ヒップホップに。

 

一応僕年季の入ったヒップホップリスナーでありまして、熱心でマジメとは言い難いですが、つらつらと聴いてきています。

一番始めは、TV版カウボーイビバップの最終話に、突然シャカゾンビ「空を取り戻した日」が流れて、驚いて近くのCD屋に注文した記憶があります。この「CD屋に注文」ていう文字の連なりが相当時代を感じるところですな。

さんぴんキャンプは後追いでアルバム数枚後追いしましたが、日本ヒップホップの現代に至るまでの重要ミュージシャンはそらで言えるほどではなく、KOHHも去年後追いで聴いたくらいです(最高でした)。前述の通り熱心でマジメというわけではなく、どっちかというとロック寄りに音楽を聴きながら、この数年は完全にヒップホップに回帰している感じでした。まあ僕の人生にあんま生物や同好の士との交流がないもんでさ、情報が入ってこんのよ(危機感ゼロ)。

関係ないですが、フリースタイルバトルという文化がここ3年くらいで突然認識され、マスに消費され始めたのは、本当に多少ヒップホップ文化を眺めていただけの人間からしても、ひっくり返るくらいの出来事だと思っています。ヒップホップという文化の集合体の中で、極北の競技だと思っておりましたし、僕も興味のないジャンルだったもんで。

 

田我流「B級映画のように2(2012)」に対しての引っかかり

時代的に3.11直後のリリース、加えて世界的に評価された邦画「サウダーヂ(未見)」の主役を突然張った山梨のラッパーとして名を上げた田我流のソロアルバム2作目なんですが、これがもうアツアツのアルバムなんですね。

例えば、ヒップホップ史に残る(と思ってる)名曲「やべ~勢いですげー盛り上がる」では、恐らくサウダーヂと地続きの「日本の労働者階級」と「山梨でラッパーをやる」ということに力強くリアルにリンクさせながら、ヒップホップの「あともうラップするしかやることねえ」というパーティー感と使命感と切なさを、田我流の所属する地元ヒップホップクルーstillichimiyaのメンバーと一緒にヤケクソに表現しております。ここに詰まっている情報って、田我流がやらないと何の意味もない、ヒップホップというか音楽としての価値そのものだと僕は思っています。

その文脈で、「Straight out 138」は、震災直後に比較的近い位置で震災を見た田我流の不信が歌われてて、当時はラッパーというより反原発活動家に近い立ち位置だった故・ECDをフィーチャーしています。そして、迂闊にも「Mr. 山本太郎にリスペクト」とはっきり歌詞に残してしまっています。

togetter.com

山本太郎の発言については、3.11当初からいろいろと言われており、審議を検証する動きはネットのどこでも行われていたので、すぐに確認できることだと思うのですが、「真実ってなんだ(track 8 "Resurrection")」ってなる人は多くいます。実際、そういう方々の支持があって、山本太郎は見事参議院議員になっていくわけですが(ちなみにそれを大いに利用したい方々もいて、中核派の方が含まれてました)。

それでも僕は、そういう足りなさがヒップホップ性だとも思ってて、このアルバムを買って聴いた当初は楽しんでました。と、いうより楽しむことにとりあえず成功していました。

 

Norikiyo「馬鹿と鋏と(2018)」で否定できない感じに

9月28日、NORIKIYOの新譜の中で、Spotifyではアーティスト2位の人気曲として「可哀想な人達」という曲が上がってました。

この曲、どういう曲なのかと言いますと、「ネットで匿名で発言する人たちを馬鹿にする曲」なんですね。

歌詞の正確なところはサイトに出てませんが、聞き取りだとこんな感じです。

面と向かって言える言葉 顔を隠せば言える言葉
(プッ)透けて見える 君のボロが
それが バレバレバレバレ
それって 誰誰誰誰

ツイッターやヤフコメについて、「匿名で強い調子で何か言う人」を批判する実名アカウントの構図って、もう数年前から結構回転してる演目だと思うんですよね。

この曲でNORIKIYOは、明らかに「匿名アカウントの煽り」を行ってます。引用した下りにも嘲笑を挟んでますし。でも、この演目を扱うのって、数年遅れてると思ったんですね。だからこう、ここにきて「本気に煽りに来てる感じ」って、乗り遅れたトレンドの薄ら寒さがものすごく漂ってたんです。

多分、NORIKIYOは最近本当にイライラしたんだと思うんです。そういう温度がこの曲にはあったと思う。特に、ケンカするタイプの人だったという記憶もありますし。それが、このタイミングで新鮮に匿名を煽る曲を書いてしまうことで、単純に世の中へのアンテナの低さがむき出しになってることに加え、「確かなキャリアを築いてきたラッパー」というものが「世の中に何か言うことができる」てことと全然イコールじゃないって事実と僕が直面したように思ったのでした。

 

3.11に関連して震災直後のAA=とかも「sTEP COde」ていう曲出してまして(tepcoは東電の略称)、東電の安全策に対して何か言うならともかく、政府や省庁にまとめてFワード使ってましたからね。

 

ヒップホップのグレートアマチュアリズム

トラックはありもので、マイク一本で雑に始められるものであって、表現を支持するかどうかは聴いた人に委ねられるわけで、別にまあ関係ないわけですよ、僕の人生に。でも「学がない」「アンテナ感度が低い」みたいなところで音楽を楽しみきれないのって、そのカルチャーにふれる態度としては結構末期なのかな、と思ったのでした。気になっちゃうんです。

ライムスターですらそんな感じになっちゃいましたしね。でもヒップホップ的であるとも思う。「わかんなくても言いたいことを言う」っていうところに、無限のたくましさを感じて聴き始めたんですけどもねえ。

 

まとめ

NORIKIYOの新作は、「ラッパーが見た景色を語る」という色はちゃんと出てるし、背伸びしてないがゆえの題材への反応ってのもあって、いいアルバムだと思って聴いてました。まだ聴くと思います。

ヒップホップはとても好きなので、これからもダラダラ聴くと思います。歳とともに触れ方は変わると思いますけどもね。