がんばらないTURBO

元不登校かつ人苦手マンなもんで、大体うらみごとと考えごとをしている。そしてブログにまとめる。音楽、お笑い、e-Sports、本、投資、うすぼんやりした美術鑑賞。

人間関係の維持ってハイコストすぎるんじゃないかね

f:id:yagi_ttm:20181012155603p:plain

スポンサードリンク

   

 

引きこもりは終わらない

僕は14歳のころ学校に行かなくなり、その後いろいろあって社会人になりました。26歳で初めて正社員になり、その後は28歳で仕事をやめ、30歳まで2年間大学に行きました。

現在35歳、心境として、自分は「不登校だった頃と何も変わっていない」と思っています。しかし、現に社会に出て、多少収入があって、税金も納めている自分が、果たして「引きこもり」であるってのも変な話であり、何だったら「脱した成功ケース」として語られる恐れもあると思います。

現実の僕は、仕事を始めてはやめ、そのたびに人間関係をリセットし、少ない貯金でぼんやり過ごしたあとにまた就職をして、と繰り返し、現在に至りました。

未だに、自分は「引きこもりを脱するためにやってきたことの成功体験」がないのです。もちろん、いろいろな状態は変わりました。年齢を食って、良いこともありました。トータルで見れば良くなってきていると思います。

それでも僕は、自分を「引きこもりである」と思ってしまいます。年齢に対して、経験してきたことが薄く、手にした結果が弱いからです。

 

八木の人間関係が恐ろしく乏しい

僕は、大阪のある地域に30年以上住んでおり、小学校も今住んでいるところから通いました。そのうえで、地元に一人も友人がいません。学校で会わなくなり、この歳になると皆さん社会人になってどこぞに散った、ということもありますが、僕自身積極的に連絡をとることがないし、当時の友人から連絡が入ることもないので、そのままにしています。

別に地元に限らず、学校や職場でそれなりに話す人ができても、切り替わるタイミングで一切連絡を取らなくなり、ほぼ全員と縁が切れていきました。

生物として不全な気がして、また若者らしく性欲に支配されている年代には、「どうにかならないか」と思って、必死に恋人を作ったことが何度かありました。が、全て半年以内に破綻しています。

そして僕は、恐ろしいことに「毎日ほぼ一人で過ごしている現状」に対して、全く危機も恐怖も持っていません。

 

生きるためのコストが人それぞれ

自分にとって生きている状態について、20年くらいかけて導いた結論がいくつかあります。

  1. 八木は、「社会的に生きる」という状態に多くのリソースを使う
  2. 八木以外の人間は、恐らく平均的に、八木よりローコストで「生きている」
  3. 八木は、「社会的に生きる」ことを社会から強いられる限りにおいて、それ以外のことについてリソースを割き過ぎると死ぬ

死ぬっていうのは例えでもなんでもなくて、例えば自分の手によって肉体的・精神的に死を選ぶことや、ドクターストップや退学・退職など社会的な死に至るということですな。

実際に僕は14歳から中学をドロップアウトし、高校は3回中退、アルバイトから正社員から、2年持たずに辞めてきました。そして、トータルで5年くらいは引きこもりの経験があります。

これら結論によって、ハイコストな社会的活動のいくつか(まあ人間ぽいことの大体とも言えるが)は自分にとって現在のところ不向きであるとして、頑張らないようになりました。

 

その筆頭が「人間関係の維持」です。これは本当に殺される社会活動だと思う。

 

人間関係を積極的に排除せよ

人の間と書いて「人間」なわけで、人の形というものは、他者との比較によってようやく浮かび上がるものだと思います。今すげえ適当に書いてます。

なんちゅうか、人が生きる上で、「人間関係を積極的に排除せよ」なんて全くナンセンスな提言だとは思うんですが、人間関係が向かない人間がここに爆誕してるってことを言いたかった。

「楽に生きる」ってことは中々ハードな人生でしたよ。楽じゃなかった。

人間関係を排除しても、ものすごく辛かった。

学校から帰ってきても、会社から帰ってきても、誰とも話したくないし連絡も取りたくない。僕に関して言えば、今スマホに登録している人で、心から嫌いな人なんてほぼおらんし、連絡きたら嬉しい人ばっかだと思う。人間性だって、自分よりいい人がほとんどだろう。僕と同じ年齢くらいなら、ちゃんと家庭を持って、嫁と子供を育てて、親戚や社会に何かを還元している、価値のある人間ばっかりだ。

そんな人達と、「自身に維持する気力が持てない」という理由で、自然消滅していくこと、こちらから連絡を取る気力がないことで「ああ、この人は自分に興味がなかったんだな」とがっかりさせることもあったろうなと考えると、本当に自分という人間の質を恨むことしかできないんです。

 

努力してるけど今の所どうにもならん

「いや、悲しむんやったら連絡とれよ」「相手と交流持ち続けろよタコ」という風に思う方がおられれば、それが僕とその方のコストの差だと思うんです。

コストなのか、容量なのかわからんけどさ。

僕は、周囲の人が「友人」や「恋人」という存在があることを軽く明らかにしていることに対して、それをしていない自分が「人として欠陥があり、人未満である」と思っていましたし、今も思ってます。よって自分は「人たらしめるために、努力でこの部分を補っていこう」と心に決めました。

それこそ、話しかけられれば聞かれたことに答え、良きところでウケそうな話や軽い冗談を入れたり、目を見かつ見すぎず、笑顔で話すとか。否定しすぎない。同意する。わからないことはわからないままにしない。適度に髪を切りに行く、みたいなこともそうだし。こちらから隙を見せて、可愛げのある人間を演出する。

これら全てを、自分の人間性から大きく逸脱せず、かつ今後を見越して永続性のあるリソースの割き方を考えて日々調整し続けました。今もしてます。

 

その結果、破綻した14歳から現在35歳になって、まだ全然調整しきれず、しんどくなってます。友人はおらず、恋人もおりません。

 

恋人がいる状況に関する絶望的な経験

僕も一人前に、恋人を作ったことがありましたが、実際に恋人ができて驚愕したことがあったんですね。

 

それは「関係の維持に努力が必要」という事実です。

 

マンガやドラマだと、「好き」という気持ちが原動力になって、その関係性はローコストでほとんど自然に維持されていき、また関係性も高まっていき、破綻する際は近づいた関係性の中で折り合えないことが出てきたとき、みたいな印象だったんですね。

全然違うのまじで。ガンガンに努力いるんですよ。知ってた?これ。

みんな簡単に彼氏彼女作ってて、1年2年とか関係維持してるけどさ、あれって「好き」一本じゃないよね。休みの日は時間作って、相手に配慮して「会いたくもなく、出かけたくもなく、食いたくもない」といったことを気取らせずに、出会ってお話して夜になったらアレコレして、心臓と喉笛に爪立てて掴み合ってる状態に「なりにいくことを含めて」関係性を作っていってるよね。

聞いてなかったわ、あの「恋人」っていう存在がいる状態。

 

好きだったら会うの苦じゃなくなる、と思ってたら、ムチャクチャ苦だった。癒やされることももちろんあったけど、自分一人じゃなくなることの重圧もハンパじゃなかった。まったくバランス取れなくなった。

 

どれだけ頑張ればよいのか比較ができないつらさ

周知のことを改めて書いてるだけかもしれないんですが、僕は多くの人が送る「社会生活」の質とそれらへの認識が、おそらくは大幅に低次元なんですよ。

何か障害があるのではないか、と思うほど。

いや、実際疑ってるんですけど。

僕は不幸なことに、わりと器用なほうでしてね。考えて結論を出して、実行していくことはわりとできるんです。完遂できるかは別にしまして。

その結果、「ある程度努力によって社会的になることができた」と思っています。そして余計に「自分に関しては死ぬまでこの努力をし続けて、いつかローコストで友人や恋人と関係を維持できるようになる」という可能性を捨てきれなくなってしまったわけですな。

 

20年かかってできないんだからもう投げ出していいかな、と思ってはいるんですけども、休んだら諦めきれなくなるのよな。

 

まとめ

このエントリーを書いたのは、「自分のようなケース」がどのくらいネットの中にいるのかということと、どなたかが、自分が今生きているこの状態を参考にしていただけたら幸いだと思ったからです。

絶望的な話ですが、死ななきゃ明日も生きていかなければならんのです。

僕の場合は人間関係の維持を後回しにすることで死を避けました。

こういったことを、自分で決めて、自分の責任で、選んでいってほしいと思うわけです。あとよろしかったら僕の生き方誰か教えてくれないですかね(吐血)。